風呂屋の珍騒動

私のマンションの前に風呂屋がある。豊里温泉という、昔はどこにでもあった懐かしいスタイルの銭湯だ。この町には府営や、市営の住宅が林立している。福祉住宅もあるがなぜか風呂がない建物が多い。そんなわけもあり豊里温泉は、今日も無事に薪を焚き続けている。
舞台がはねると銭湯に出かける。それがたまらなくリラックスするのだ。今日も一座の座員であり、自称弟子を名乗るムロ君と湯にきた。
暖簾をくぐる。古い風呂屋独特の湿気た木の香りと、石鹸の臭いがする。今はずいぶん少なくなった木製の下駄箱から、木の札を抜き取ると、なんともレトロで、いきなりリラックス効果なのである。ガラガラっと男湯の扉を開く。右が男湯、左が女湯、習慣というのは恐ろしい。以前別の銭湯に行ったときだった。いつもの調子で、右側の扉を勢いよく開ける。いきなり番台のおっちゃんが「ここは女湯やで」と顔を出した。そうかしまったと思ったが「何で、おっさんは女湯の入り口から顔だせるんや、ええ商売やな」と納得したのだった。出来れば入り口に点字の札がほしい。
話を豊里温泉にもどすが、ドアを開けると「いらっしゃい」何時ものおばちゃんが迎えてくれる。・・・・360円を払い脱衣場に向かう。
子供の頃からこの風呂屋にはよく出かけた。マンションに風呂があるにもかかわらず、小学生のころ大抵の男の子ならば、小銭を握り締めて近所の悪餓鬼が誘い合い、風呂屋通いをする時期がある。これが大人になって別の風呂屋に通う癖につながっていく者もいるのだ。
風呂屋の入り口の戸を開ける。ムワーンと蒸気と熱気が「温泉へようこそ」なんて調子で迎えてくれる。湯気の暖簾をくぐり抜けるとそこはもう別天地、もちろん頭の中のBGMは「ババンババンバンバン」である。掛け湯を済ませ、何時ものように打たせ湯から入る。両肩にちょうどよい水圧でお湯が落ちてくる。足を伸ばしたり縮めたり、時に禅僧のようにチャクラを組み湯を浴びると、舞台でのあれやこれや失敗なんかも流し落とされ、この世のすべてのものが許せるような心持になってくるから不思議なものだ。肩をほぐして次に向かうのは水風呂である。この水風呂に入るのは少し勇気がいる。水がよく冷える薬が混ざっているらしく、強烈な冷たさなのだ。片足をつけながら、自称弟子君は
「MAKAさん、今日は止めときましょうよ」
と嘆願するが駄目である。私と風呂屋に来た者は必ずこの儀式に参加させられる。彼もしぶしぶ足をつけている。両足、そして徐々に腰のあたり、そしてみぞおちと沈んでいくのである。
ここで注意しておこう、水風呂は決していきなり入ったり肩までつからないことである。下手に格好つけると風呂屋で土左衛門や、のびた君になる可能性もある。「ギョエーギョエー」と大のおっさん二人で絶叫しながら苦行僧になるのだ。 不況のあおりで風呂屋に来る人は減ったらしく、たった二人という貸切り状態もよくあるので、絶叫もお構いなしだ。30秒ほどすると、足の甲から膝下ぐらいがキーンと音を立てるように痛む。1分もすると人間の体はなじみ始める。
隣の自称弟子君、余裕が出てきたらしい、鼻歌なんぞ歌っている。二、三分して一気に外へ出る。そしてサウナへ突入するのだ。
サウナに一歩入るとすぐに汗が滲み出る。冷水に浸しておいたタオルを、イスラム教徒のように、顔の前に垂らし軽く息をする。口の中にひやっとした空気が入って来て気持ちがよい。
ぬらしたタオルで顔を覆っていると、比較的長くサウナに入っていられる。
自称弟子君が「ちょっと先に出ます」と出て行った。すぐ来るだろうと思い、のんびり足を伸ばし、ぼんやり有線の演歌を聞く。「骨まで骨まで」という強烈に古い歌が聞こえてきた。さて出ようかなと思っていたら自称弟子君がこない、おかしいな、もう少し待つ、なかなか来ない。若干やばいと思い、とりあえず外に出ることにした。ドアを探し壁に手を当てる。「アチ、ここじゃない」ドアのノブはどこだ。またドアに触れるつもりで手を出す。「アチ」なかなかやばくなってきた。ラジオからは「骨まで骨まで骨まで愛してほしいのよ」、なんとこのシチュエーションに合っている曲だろうか、俺が骨になりそうだ。これはと、もう一度手を伸ばした。「あった、ノブだ」こんな感動は長野県の善光寺の地下に広がる暗黒の世界で、極楽への鍵を探し当てたとき以来ではなかろうか。回してみる、回らない、逆回し、回らない。引いてみる、びくともしない。「うっそー」絶体絶命である。私はこの慣れ親しんだ愛すべき豊里温泉で、即身仏になる覚悟を決め、床に座り込んだ、めくるめく脳裏を掠める思い出の数々、お父様ありがとうございました。お母様昨日の卵焼き、大変おいしゅうございました。私のかすみ行く意識の彼方から、ピンクの象さんが表れた瞬間、「MAKAさん何してるのん」と自称弟子君が扉を開けて入ってきた。
「ドアが開かんかったんや」
「このドア押すだけやで」
慌てていたのだろうか、こんな簡単な事が分からんとは、とりあえず私は千日行を終えた大アジャリのように、彼の肩につかまり厳かにサウナルームを後にしたのであった。蛇口に手をかけとにかく水を浴びようとしたら
「MAKAさんそれ湯やで」
と自称弟子君の声。危機一髪だった。勢いで熱湯掛けたら因幡の白兎だ。いろんな風呂屋や、温泉に行くが、蛇口に点字で水、湯なんて打っているところに出会った事がないな。冷水を浴びてほっと一息ついてから、体を洗う。いい心持である。隣の女風呂から「おかあちゃん」と声が聞こえてくる。「きゃーふふふ、やだー」なんて声がする。珍しく若い女性の客なのだろうか。私は壁の上にある隙間からのぞけるかもしれないと思い「肩車してくれへんか」と頼んだが、自称弟子君あっさりとぶっきらぼうに言った。
「MAKAさん見えへんやん」
忘れていた。それにしても女湯に向かって一度は言ってみたいものだ、・・・・
「もう出るぞう」すると向こうから「はい」なんてやつ、いやこっちから口笛を吹く、するとそれを聞いた彼女が「はい」いやこっちから桶を三回鳴らす、そしたら向こうからコンコンと恥ずかしそうに小さな桶の音、「何をぶつぶつ言うてるんですか、またのぼせますよ、先に大きな風呂入ります」私も少し顔を洗ってから自称弟子君のところへ向かった。
以外に銭湯の移動は大変である。点字ブロックがあるわけでないし、手すりがしっかりついているところは少ない。いわゆるレジャー型の、どでかい派手な温泉であってもである、やはり温泉は湯治という具合に、体を休め病を癒す役割があるのだから、高齢者や、障害者が訪れやすいものであってほしいと願うものだ。設備投資が掛かるというが、巨大温泉に行くと、突然天井に稲妻が走り雨が降る、岩が割れて湯が吹き出る、ミラーボールで目が回る、そして、滑り台がプールよろしく備えられたりしている。これも一興ではあるが、手すりや、誘導ブロック、ガイドヘルパーさんなどの充実をしていただく方にも、予算を入れていただきたいと考えてしまう。そこにこそ万人への癒しサービスがあるのではないだろうか。
それはともかく、こうして大きな湯船に浸かっていると、ある子供の頃の記憶がよみがえる。
悪餓鬼四、五人で風呂屋で大騒ぎをしていた。突然電気風呂に入ろうと一人が言い出した。悪餓鬼達にとって、それは命がけの行動だった。理科の時間に水は電気を通うすなんてことを習って間がない小学生には、湯に電気が流れている、これはもう電気椅子に座らされるほどの恐怖なのである。誰がこの前人未踏にチャレンジするか、当然言い出しっぺの餓鬼が、犠牲者となった。彼はおびえながら片足を湯に入れた。「ひゃー」という絶叫が風呂中に響き渡る。勇敢にも彼はここで止めず、両足を入れ中央付近まで歩んでいった。彼はもうほかの仲間とはまったく違う輝かしい存在、電気人間エレキテル化している。その表情には余裕の笑みさえうかがえた。「真中はしびれへんで、手をつけなけりゃ、平気や」この一声でほかの悪餓鬼も次から次へと、湯船にはいった。私も例に漏れずである。
わいわい、がやがや両手を前に伸ばしたままの、悪餓鬼が湯船の中央に固まっていると、そこに、重々しい空気が漂ってきた。お背中に派手なプリントをつけられたおっさんが湯船の縁に座った。次の瞬間このおっさんは、私の手を掴んで湯船に押し込もうとした。私は咄嗟に全力で抵抗した。おっさんの腕力にかかったら、子供の力なぞまさに赤子の手をひねるようなものだ。おっさんは、わざとじわじわ手加減しつつ水面に手を近づける。まるで猫が獲物を遊びながらいたぶるように
「おおいやめろ」という悪餓鬼達の声が響く。
「やめろ、やめろ」の声の中おっさんは不適な笑みを浮かべて、私の手に力をいれ始めた。とその時一人の悪餓鬼が
「おいやめとけや、目が悪いんやぞ」と叫んだ。その声を聞いたおっさんは突然手を離した。私はほっとしたのと同時に、何か恥ずかしいような、気まずさを覚えた。別に死ぬわけじゃないのだから、一思いにジャブンとやってくれたほうがよかった。そのほうが、仲間の中でヒーローになれたのに、目が悪いからあかんのかという複雑な思いだった。おっさんは湯の中に入ってきた。
「そうか、目が悪いんか」と言うと、桶に入っていたネッシーのおもちゃのスイッチを入れ、湯に浮かべて遊びだした。悪餓鬼も何時のまにかおっさんと遊んでいた。おっさんは上がり際に、「後で来い」と言い残し風呂場を出ていった。かくして我々が、脱衣場に行くと、一人一人にラムネを買い与えてくれた。それ以後も何度かこのおっさんに会う度にラムネをおごってもらった。
ずいぶん体も温まった。自称弟子君が「そろそろ行きますか」と聞いている。
そんな彼に手引きしてもらいながら脱衣場に出た。今日は二人でみかん水とラムネで乾杯である。
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by maka1968 | 2006-09-23 12:03 | お気楽エッセー
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