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たこ焼き

お気楽ラジオのメンバーとたこ焼き屋に出かけたのであります。ここのたこ焼きは絶品でっせ。私の幼馴染が去年から始めた店、『みんなのわ』。大阪市にある東淀川中学校の塀の向かいにあります。奥様といっしょにたこ焼きを焼いている姿がほのぼのとしてよい。はじめ師匠(三味線の師匠)などは、必ず30個から40個食べていく。中毒症状が現れているようだ。醤油味がまたうまい。粉かつおのふりぐあいといい、醤油の量といい、ぜひ一度ご賞味あれ。6個100円。
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by maka1968 | 2006-09-27 22:49 | 福点の今日このごろ | Comments(1)

ABCラジオ「ちょっといい話」出演

なななななんと、あの朝日放送ラジオに出演させていただけるというありがたい機会をいただきました。

日時   10月1日(日)朝8:00~8:10  12月3日(日)朝8:00~8:10 
番組名  ABC朝日放送ラジオ(1008KHz)「ちょっといい話」

番組では、宮村不二子アナウンサーのリードで楽しく会話をさせていただきました。
日曜の眠い朝ですが、お聞きいただけますと大変ありがたく存じます。
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by maka1968 | 2006-09-23 14:25 | Comments(364)

はじめまして、桂 福点でございます

どうも、桂 福点でございます。

私は落語家 桂福団治の弟子で笑いの世界の隅のほうにおいて頂き、いんぐりもんぐりと活動させていただいております。また、音楽療法を大阪芸術大学時代に知り、現在も診療所や障害者の作業所で取り組ませていただいております。

子どもの頃は漫画家にあこがれ、落書きを楽しむ日々を過ごしておりましたが、中学時代に先天性の緑内障が悪化して視力を失いました。そんな時、いっしょに絵を描いていた友達に「絵がだめなら音楽をしよう」と誘われ、バンドを組んだのでした。現在もその頃の情熱は覚めず、いやいや、さらに悪化する一方、お気楽一座を結成し、笑いや音楽、ゲーム等を交えたステージをお届けする活動をしております。

また、平和な日本、平和な地球であることを願って、過去の戦争を題材にした一人語りの講演を小学校や地域の催しで行っています。
小学校や中学校では、障害者理解についてかたくるしいものでなく、おもしろおかしく伝えるように心がけた講演もしています。

まだまだ未熟者でございますが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

※桂福点の名前をいただくまでに名前が三度変わっております。
福団治師匠に入門した当時は「福団治亭MAKA」、のちに福団治亭一門の屋号が藤本義一先生よりいただいた、「宇宙亭」となり、「宇宙亭MAKA」、その後師匠より新しい笑いの世界を作り出せという願いをこめて、「音福亭MAKA」という名前をいただきました。そして、2009年9月、三代目桂春団治師匠よりあたたかい励ましの言葉をおかけいただき、あらためて福団治師匠より「桂 福点」という名前を頂戴いたしました。。

過去に出演した番組
 NHK 列島リレードキュメント 出演
 NHK 教育TV 「きらっといきる」で助演
 NHK 圭子の ユーユーユー
JBS日本福祉放送 「セブンデイズ日盲連」「MAKAちゃんのお気楽島ラジオ」
 ABCラジオ 「ちょっといい話」
 KBS京都ラジオ「早川一光のばんざい人間」
 MBS毎日放送ラジオ 「早耳ラジオ」
 NHKFM「デジタルバザール バリアフリーにお笑いを」
 読売テレビ「ニュースten!」
 ラジオ関西「谷五郎のこころにきくラジオ」
 NHK総合テレビ「ぐるっと関西おひるまえ」
 NHKラジオ第二放送「ともにいきる」
 NHKラジオ第二放送「聞いて聞かせて」
 NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」
 NHK教育テレビ「きらっといきる バリバラ」とほほの落語コーナー

                      等
現在神戸市長田区コミュニティーラジオFMわいわい「桂 福点のお気楽島ラジオ」放送中
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by maka1968 | 2006-09-23 13:46 | プロフィール | Comments(8)

MAKAの公演あれやこれや

音福亭MAKAの漫談MAKAの漫談は、ご依頼をいただきました団体やイベント内容に応じてオリジナルのネタを創作いたします。障害者理解や世の中の出来事についての話などをご依頼先の皆様の趣旨に応じて作り上げております。大きな舞台にはお目見えすることがございませんので、どこかで聞いていただいた方がまた誰かに話すという形で聞き伝え、知る人ぞ知る、知らない人は誰も知らないという大変貴重な形でやらせていただいております。偶然どこかでお聞きいただきましたら、どうぞご賞味ください。、

一人語り
過去の戦争について語り継ぐことは大切なことだと思います。戦後60年以上たち、その実体験を語ることのできる方々もご高齢になってこられました。語り部活動をされてこられた方も減ってきています。そこで、新しい語り部の活動として、実話にもとづき創作を加えて一人語りに取り組んでおります。この活動を通して、平和の大切さをともに考えていただければと思っております。大阪大空襲、原爆、戦中の動物園など、過去の歴史から考えるものです。小学生にも大人にも理解していただけるように製作しています。小学校や地域の文化行事でお招きいただいております。

音楽療法の実践と話
MAKAが取り組んでおります音楽療法について、セッションの実際を体験していただきながら、自分も障害者という立場を踏まえた講演をしております。福祉施設の学習会、看護師の方の学習会、老人大学などで講演させていただいております。

学校講演小学校や中学校での障害者理解を目的とした取り組みです。自分が子供のころどんなふうだったか、徐々に視力を失うとはどんな気持ちか、友達とのつながりについてなど、笑いを交え、実体験をしていただきながら行っています。学年に応じて話の内容を考えております。かたくるしい内容ではありません。むしろそんなかたい話、ようしませんのですんまへんな。コミニケイションをとりながらの講演になります。
もしこのページを実際に講演に行く学校の生徒の皆様が見てはったら、まあこんなえらそうなこと書いてるけど、たいしたおっさんちゃうから、よろしくたのみまっさ。

お気楽一座
障害者施設、福祉施設、病院など、子供から高齢者の団体までご依頼に応じて音楽や漫談、ゲームなどを一まとめにしてお届けいたします。なおご依頼先のスタッフの方にも積極的に舞台に上がっていただくことがございますがご了承ください。お気楽一座座員そして参加者の皆々様との楽しいひと時を作る活動でございます。
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by maka1968 | 2006-09-23 13:41 | こんなことしてまっせ | Comments(1)

風呂屋の珍騒動

私のマンションの前に風呂屋がある。豊里温泉という、昔はどこにでもあった懐かしいスタイルの銭湯だ。この町には府営や、市営の住宅が林立している。福祉住宅もあるがなぜか風呂がない建物が多い。そんなわけもあり豊里温泉は、今日も無事に薪を焚き続けている。
舞台がはねると銭湯に出かける。それがたまらなくリラックスするのだ。今日も一座の座員であり、自称弟子を名乗るムロ君と湯にきた。
暖簾をくぐる。古い風呂屋独特の湿気た木の香りと、石鹸の臭いがする。今はずいぶん少なくなった木製の下駄箱から、木の札を抜き取ると、なんともレトロで、いきなりリラックス効果なのである。ガラガラっと男湯の扉を開く。右が男湯、左が女湯、習慣というのは恐ろしい。以前別の銭湯に行ったときだった。いつもの調子で、右側の扉を勢いよく開ける。いきなり番台のおっちゃんが「ここは女湯やで」と顔を出した。そうかしまったと思ったが「何で、おっさんは女湯の入り口から顔だせるんや、ええ商売やな」と納得したのだった。出来れば入り口に点字の札がほしい。
話を豊里温泉にもどすが、ドアを開けると「いらっしゃい」何時ものおばちゃんが迎えてくれる。・・・・360円を払い脱衣場に向かう。
子供の頃からこの風呂屋にはよく出かけた。マンションに風呂があるにもかかわらず、小学生のころ大抵の男の子ならば、小銭を握り締めて近所の悪餓鬼が誘い合い、風呂屋通いをする時期がある。これが大人になって別の風呂屋に通う癖につながっていく者もいるのだ。
風呂屋の入り口の戸を開ける。ムワーンと蒸気と熱気が「温泉へようこそ」なんて調子で迎えてくれる。湯気の暖簾をくぐり抜けるとそこはもう別天地、もちろん頭の中のBGMは「ババンババンバンバン」である。掛け湯を済ませ、何時ものように打たせ湯から入る。両肩にちょうどよい水圧でお湯が落ちてくる。足を伸ばしたり縮めたり、時に禅僧のようにチャクラを組み湯を浴びると、舞台でのあれやこれや失敗なんかも流し落とされ、この世のすべてのものが許せるような心持になってくるから不思議なものだ。肩をほぐして次に向かうのは水風呂である。この水風呂に入るのは少し勇気がいる。水がよく冷える薬が混ざっているらしく、強烈な冷たさなのだ。片足をつけながら、自称弟子君は
「MAKAさん、今日は止めときましょうよ」
と嘆願するが駄目である。私と風呂屋に来た者は必ずこの儀式に参加させられる。彼もしぶしぶ足をつけている。両足、そして徐々に腰のあたり、そしてみぞおちと沈んでいくのである。
ここで注意しておこう、水風呂は決していきなり入ったり肩までつからないことである。下手に格好つけると風呂屋で土左衛門や、のびた君になる可能性もある。「ギョエーギョエー」と大のおっさん二人で絶叫しながら苦行僧になるのだ。 不況のあおりで風呂屋に来る人は減ったらしく、たった二人という貸切り状態もよくあるので、絶叫もお構いなしだ。30秒ほどすると、足の甲から膝下ぐらいがキーンと音を立てるように痛む。1分もすると人間の体はなじみ始める。
隣の自称弟子君、余裕が出てきたらしい、鼻歌なんぞ歌っている。二、三分して一気に外へ出る。そしてサウナへ突入するのだ。
サウナに一歩入るとすぐに汗が滲み出る。冷水に浸しておいたタオルを、イスラム教徒のように、顔の前に垂らし軽く息をする。口の中にひやっとした空気が入って来て気持ちがよい。
ぬらしたタオルで顔を覆っていると、比較的長くサウナに入っていられる。
自称弟子君が「ちょっと先に出ます」と出て行った。すぐ来るだろうと思い、のんびり足を伸ばし、ぼんやり有線の演歌を聞く。「骨まで骨まで」という強烈に古い歌が聞こえてきた。さて出ようかなと思っていたら自称弟子君がこない、おかしいな、もう少し待つ、なかなか来ない。若干やばいと思い、とりあえず外に出ることにした。ドアを探し壁に手を当てる。「アチ、ここじゃない」ドアのノブはどこだ。またドアに触れるつもりで手を出す。「アチ」なかなかやばくなってきた。ラジオからは「骨まで骨まで骨まで愛してほしいのよ」、なんとこのシチュエーションに合っている曲だろうか、俺が骨になりそうだ。これはと、もう一度手を伸ばした。「あった、ノブだ」こんな感動は長野県の善光寺の地下に広がる暗黒の世界で、極楽への鍵を探し当てたとき以来ではなかろうか。回してみる、回らない、逆回し、回らない。引いてみる、びくともしない。「うっそー」絶体絶命である。私はこの慣れ親しんだ愛すべき豊里温泉で、即身仏になる覚悟を決め、床に座り込んだ、めくるめく脳裏を掠める思い出の数々、お父様ありがとうございました。お母様昨日の卵焼き、大変おいしゅうございました。私のかすみ行く意識の彼方から、ピンクの象さんが表れた瞬間、「MAKAさん何してるのん」と自称弟子君が扉を開けて入ってきた。
「ドアが開かんかったんや」
「このドア押すだけやで」
慌てていたのだろうか、こんな簡単な事が分からんとは、とりあえず私は千日行を終えた大アジャリのように、彼の肩につかまり厳かにサウナルームを後にしたのであった。蛇口に手をかけとにかく水を浴びようとしたら
「MAKAさんそれ湯やで」
と自称弟子君の声。危機一髪だった。勢いで熱湯掛けたら因幡の白兎だ。いろんな風呂屋や、温泉に行くが、蛇口に点字で水、湯なんて打っているところに出会った事がないな。冷水を浴びてほっと一息ついてから、体を洗う。いい心持である。隣の女風呂から「おかあちゃん」と声が聞こえてくる。「きゃーふふふ、やだー」なんて声がする。珍しく若い女性の客なのだろうか。私は壁の上にある隙間からのぞけるかもしれないと思い「肩車してくれへんか」と頼んだが、自称弟子君あっさりとぶっきらぼうに言った。
「MAKAさん見えへんやん」
忘れていた。それにしても女湯に向かって一度は言ってみたいものだ、・・・・
「もう出るぞう」すると向こうから「はい」なんてやつ、いやこっちから口笛を吹く、するとそれを聞いた彼女が「はい」いやこっちから桶を三回鳴らす、そしたら向こうからコンコンと恥ずかしそうに小さな桶の音、「何をぶつぶつ言うてるんですか、またのぼせますよ、先に大きな風呂入ります」私も少し顔を洗ってから自称弟子君のところへ向かった。
以外に銭湯の移動は大変である。点字ブロックがあるわけでないし、手すりがしっかりついているところは少ない。いわゆるレジャー型の、どでかい派手な温泉であってもである、やはり温泉は湯治という具合に、体を休め病を癒す役割があるのだから、高齢者や、障害者が訪れやすいものであってほしいと願うものだ。設備投資が掛かるというが、巨大温泉に行くと、突然天井に稲妻が走り雨が降る、岩が割れて湯が吹き出る、ミラーボールで目が回る、そして、滑り台がプールよろしく備えられたりしている。これも一興ではあるが、手すりや、誘導ブロック、ガイドヘルパーさんなどの充実をしていただく方にも、予算を入れていただきたいと考えてしまう。そこにこそ万人への癒しサービスがあるのではないだろうか。
それはともかく、こうして大きな湯船に浸かっていると、ある子供の頃の記憶がよみがえる。
悪餓鬼四、五人で風呂屋で大騒ぎをしていた。突然電気風呂に入ろうと一人が言い出した。悪餓鬼達にとって、それは命がけの行動だった。理科の時間に水は電気を通うすなんてことを習って間がない小学生には、湯に電気が流れている、これはもう電気椅子に座らされるほどの恐怖なのである。誰がこの前人未踏にチャレンジするか、当然言い出しっぺの餓鬼が、犠牲者となった。彼はおびえながら片足を湯に入れた。「ひゃー」という絶叫が風呂中に響き渡る。勇敢にも彼はここで止めず、両足を入れ中央付近まで歩んでいった。彼はもうほかの仲間とはまったく違う輝かしい存在、電気人間エレキテル化している。その表情には余裕の笑みさえうかがえた。「真中はしびれへんで、手をつけなけりゃ、平気や」この一声でほかの悪餓鬼も次から次へと、湯船にはいった。私も例に漏れずである。
わいわい、がやがや両手を前に伸ばしたままの、悪餓鬼が湯船の中央に固まっていると、そこに、重々しい空気が漂ってきた。お背中に派手なプリントをつけられたおっさんが湯船の縁に座った。次の瞬間このおっさんは、私の手を掴んで湯船に押し込もうとした。私は咄嗟に全力で抵抗した。おっさんの腕力にかかったら、子供の力なぞまさに赤子の手をひねるようなものだ。おっさんは、わざとじわじわ手加減しつつ水面に手を近づける。まるで猫が獲物を遊びながらいたぶるように
「おおいやめろ」という悪餓鬼達の声が響く。
「やめろ、やめろ」の声の中おっさんは不適な笑みを浮かべて、私の手に力をいれ始めた。とその時一人の悪餓鬼が
「おいやめとけや、目が悪いんやぞ」と叫んだ。その声を聞いたおっさんは突然手を離した。私はほっとしたのと同時に、何か恥ずかしいような、気まずさを覚えた。別に死ぬわけじゃないのだから、一思いにジャブンとやってくれたほうがよかった。そのほうが、仲間の中でヒーローになれたのに、目が悪いからあかんのかという複雑な思いだった。おっさんは湯の中に入ってきた。
「そうか、目が悪いんか」と言うと、桶に入っていたネッシーのおもちゃのスイッチを入れ、湯に浮かべて遊びだした。悪餓鬼も何時のまにかおっさんと遊んでいた。おっさんは上がり際に、「後で来い」と言い残し風呂場を出ていった。かくして我々が、脱衣場に行くと、一人一人にラムネを買い与えてくれた。それ以後も何度かこのおっさんに会う度にラムネをおごってもらった。
ずいぶん体も温まった。自称弟子君が「そろそろ行きますか」と聞いている。
そんな彼に手引きしてもらいながら脱衣場に出た。今日は二人でみかん水とラムネで乾杯である。
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by maka1968 | 2006-09-23 12:03 | お気楽エッセー | Comments(0)

「MAKAちゃんのお気楽ラジオ」コーナー紹介

オープニングから始まり、トーク、これはもう実にくだらないぼけっとした話のオンパレード、時にはゲストも加わり、ナンジャモンジャ問答の連発ですわ、でもよう聞いてもろたら、日常生活に密着した福祉に関する実話話や「とほほ」話がまじってまっせ。

一冊堂のコーナー
上方芸能の古書を研究し、ネット販売もされている坂本卓也先生の島の書斎を訪れ、書物や作家についての話を聞くという番組唯一の知的な時間。聞き所は、坂本先生の語り口調が絶品。

島の喫茶店「風らん」
いやしの喫茶店「風らん」のテーブルに座り、お茶をしながら、いやしグッズや、食について語ります。MAKAちゃんのとっておきレシピや、安全調理で食べれるものなども時おり紹介。
なお、風らんのウエイトレスさんは、MAKAちゃんが注文するわけのわからんものを毎回軽くあしらいながら運んできてしまうというつわもの。

スポーツ一番星
スポーツ好きで、島で唯一テレビを持っているというスポーツ研究家の宇野先生が、三味線のおっしょはんでスポーツおたくのはじめ師匠といろんなスポーツについて、旬の話題を織り交ぜながら、トークを繰り広げるこーナー

お便り、メール、トークのコーナー
リスナーの皆様からのお便りやメールを紹介、また最近気づいた事柄について話すコーナー

鉄道情報
お気楽島をほぼ一周する島巡り鉄道のセンター長、ミスターエキスプレス氏が日本各地の鉄道のいろいろな話題や情報を話す、実にマニアック、そして鉄チャンの心をくすぐるピンポイントアタックのコーナー。鉄道好きでなくても旅に出かけたくなったり、ホーと思う話も豊富だっせ;

エンディング
取り留めなく進んでしまった番組を毎回何とか丸く治めようとする音福亭MAKAの悪あがきのひと時でございます。

脱力して生きていこうと思われる皆様ご拝聴ください。特に未来の日本の福祉を担う皆様には必携「ほ、ほ、ほんまかいなー」

使用上の注意
最近、一度聞いてはまった方、島から帰れなくなった方が続出しております。くれぐれもお気楽中毒にはご注意ください。
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by maka1968 | 2006-09-18 12:40 | MAKAちゃんのお気楽ラジオ | Comments(1)

MURA村WAKUワク

私はカレーライスをこよなく愛している。うまそうなカリーのにおいは2、300メートル先の店まで分かってしまうほどだ。うちの一座(お気楽一座)のワッキーもカリー好きであることをつけ加えておかなければならない。私は彼と今あやしいサウンドづくりをめざしている。そこでまずはアメリカ村に資料および音具集めに出かけた。アメ村というと、1986年ごろ私はよく出入りしていた。なんだか分からぬものを並べた雑貨屋、アジアンテイストの店、しゃれた洋服やジーンズの店、ほこりっぽくガネーシャの香りをたいたインド雑貨屋、店先からは思い思いの音楽が漏れている。そしてその町をゆらゆら、がちゃがちゃ、わいわいと歩くさまざまなファッションに身を包んだ若者、これがアメ村。そこには村の時間が流れていた。大人はそれを退廃的だとか、世紀末的、だらしないと中傷していたが、私にとって、いやいやアメ村を歩く旅人は、それを愛し、その中傷をマントのように軽々と羽織って楽しんでいたと思う。当時、私がもっぱら出入りしたのはマニアックなCDショップ「ラングーン」とインド雑貨屋だった。
ワッキーと難波からアメ村に入村。相変わらずガチャガチャ音楽が流れている。しばらくアメ村を歩いていた私たちは、ふと妙な違和感を感じた。店先を飾る音楽にあまり変化がない。ツクチーツクチー、デケデケデケデ、デケデケデーン、なまむぎなまごめなまたまご、てな具合で言葉を連発するラップ系の曲、クラブ系のサウンドがほとんどなのである。レゲーはどこいった。無国籍サウンドは、パンクは、そして耳からだけでなくそんな村の変化は視覚的にも現れていた。「マカさん 雑貨屋減ってます」な、なんだってえ、しゃれた小物や洋服の店はあっても、実にわけ分からん生活には必要なかろうと思われる雑貨を並べた怪しい店が激減しているのだ。「ラララ、ラングーンは、ぶ、無事か」われわれはワールドミュージックやマニアックなCD、レコードまでを取り扱っているあの店を探した。「たしか、このあたりですよね」ワッキーが見回している。そして次の瞬間ワッキーの驚愕と絶望の声を私は聞くことになった。「つぶれてます、ありゃー、完璧にぶっつぶれ」私の心の方がぶっつぶれである。二人の足取りは重たくなった。「あのー、気を取り直して僕が高校時代よく行ったセイロンライスの店行きませんか」セイロンライス、それはいったいなんなのだ。聞くとアメリカ村が生まれたときから営業しているという。不覚にも私はその店を知らなかった。私の心になにやら懐かしい感覚を伴いながら、ムクムクと期待がよみがえった。「でもマカさん、つぶれてないやろか」 再び二人の心に一抹の不安がよぎる。街角からは、クラブ系のサウンドが忙しくリズムと言葉を浴びせ掛けてくる。
細い路地を曲がり曲がり、ゆらゆらと歩く。小さな店は、バブルのシャボン玉となって消えてしまったんだろうか。虹のような光を秘めたシャボン玉は世間の風には合わないらしい。そんな変わり行くアメ村を、かつて絹の道を行商して歩いた旅人のようにさまよう。腹もほどよくすいてきた。
セイロンといえばスリランカではないか、昔の人はセイロンの文化にノスタルジックな憧れを抱いたという。店の入り口に立つ。アジアン系の店特有の、香などを含む独特のにおいはしてこない。「入りますよ」ワッキーが小さなドアに手を掛け、静かに一歩入る。「なな、なんだ、いきなりそこは、スリランカではなく、タイムスリップをしたような懐かしい食堂の雰囲気全開なのだ。それも街角でよく見かけたこじんまりした店、どこか古臭く、そのレトロな店よりさらにレトロなおばちゃんが奥からでてきそうな、3丁目の夕日が似合う店だった。誰見るともなくつけられているテレビの音に混じって、「いらっしゃい」と声がかかる。席につくと、レトロおばちゃん予備軍の女性が水を持ってきてくれた。グビリと一杯飲む。おっと指に触れたコップはこれまたノスタルジックなプラスティック、懐かしい気分をさらにセピア色の過去へいざなう。三代前のおばあちゃんがはじめた店で、アメ村誕生のころからやっているとあって、独特の落ち着きがある。味は当時と同じまま、セイロンライスの名前の由来については、そのばあちゃんが棺おけの中に一緒に封印してしまってわからないそうだ。「なつかしいっすね、いやあ、子どものころのお好み焼き屋みたいですよ、この店高校時代よく来ました。実はこの店有名人がひそかに来るらしいんです。」壁にはつるべ師匠をはじめサインがいくつか飾られていた。もちろん音福亭MAKAのサインは…。
いよいよ注文したセイロンライスが出来上がるころだ。名前からあらゆる連想が広がり、スリランカの妖艶かつ色気を押し殺したような美女がいざなう怪しい世界が展開され、想像力の津波が妄想に変化した。そしてレトロ予備軍のおばちゃんがいよいよわれわれのテーブルにセイロンを運んできたのだ。まずは嗅覚に刺激が来る。香りはカレーライスに近いが、あそこまで強烈なインパクトはない。さじは抵抗なくライスとルーを持ち上げた。ルーはさらっとした感じのようである。一口食べると口中にカレーとはいえぬ何やらハヤシライスのような、そしてどこかに醤油味を感ずる、異文化の交流を髣髴とさせるものであった。
この店を取り巻くアメリカ村は相当若返り、その時代時代の若者の服装をまとい、音楽や言葉、アートを吸収して息をしている。この店はそんなアメ村に生まれていながら、まったく時代の先端に気をとられず、アメリカ村の姿にも迎合しない。頑固なばあちゃんがまだ店の柱や壁に気を付着させて守り続けているらしい。とかく芸能関係者なぞは世間にこびて生きてしまいがちだ。そんな時ふとこの店で自分を取り戻しにくるのかもしれない。いつまでも頑固で信念を曲げず、それでいてひそかに知る人ぞ知る店のままでいてほしいと思った。ワッキーが一言「MAKAさんも有名になってこのあたりにサインどうですか」「やめとこ、見えてないし、妙なものにサインして闇金に追われるのが落ちやからな」誰見るでもないテレビの中で、小泉総理がアメリカで笑顔を振りまいていた。
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by maka1968 | 2006-09-18 11:25 | お気楽エッセー | Comments(0)

MAKAちゃんの これ大好き!

私は子どもの頃から海が好きで、青い海にぽっかり浮かぶ南国の小さな島にあこがれてました。 たぶんこれは、小学校1年生のときの担任の先生が、『ひょっこりひょうたん島』をクラスで歌うようにしてはった影響かも。それ以来、頭の中がトロピカルになってしもて、ハメハメハなおっちゃんになってしまったんです。ハイサイ!それで、沖縄にあこがれ、沖縄が大好き!離島大好き!なんですわ。

食べ物では、なんと言ってもカレー。これほど充実した食品をみごとに組み合わせる料理はあるだろうか。カレーという一定の枠組みのなかに無限の宇宙がありまっせ。マトンカレー、豆カレー、えびカレー、シーフードカレー、野菜カレー、グリーンカレーなどなど、数えればきりがない。私はとにもかくにも前世はインドの街角でコブラをあやつる怪しい大道芸人で、朝昼晩とカレー三昧を楽しんでいたのではないかと思うほど、インドのカレーに心引かれるのでございます。
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by maka1968 | 2006-09-04 22:22 | プロフィール | Comments(0)

MAKAちゃんのお気楽ラジオ紹介

「MAKAちゃんのお気楽ラジオ」は有線のJBS日本福祉放送で放送されている番組です。
音福亭MAKAがいたってのどかな「お気楽島」を巡りながら、ゆかいな島人たちといろいろな話題をお届けする構成になっています。ぜひ一度ご拝聴ください。
とは言うても、家に有線引っ張ってる人どれだけおるんやろう。あ、せや、インターネットでも無料で聞けます。くわしくは、JBS日本福祉放送にお問い合わせください。メールアドレスは
radio@jbs.or.jp です。
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by maka1968 | 2006-09-04 21:36 | MAKAちゃんのお気楽ラジオ | Comments(0)

はじめまして、MAKA&お気楽一座でございます

初めまして、お気楽一座でございます。私達お気楽一座は、音福亭MAKA(おとふくてい まか)を中心に子供から高齢者の方まで障害のある人もない人も楽しく盛り上がれる舞台を作ろうと力を合わせて取り組んでいる一座でございます。舞台からの、ノーマライゼーションをあなたへ。障害のある人ない人、若者も高齢者の方も、共に個性を発揮し、音楽やトーク、ゲーム、MAKAの音楽漫談、お芝居演芸等を織り混ぜた舞台を作っております。MAKA&お気楽一座は客席との心のコミュニケーションをモットーにしたホットな街角芸能を目指しております。是非とも地域の祭りや学校、会社、作業所、病院、高齢者施設、商店街等々の催しの際には、お気軽に声をかけていただき、お呼びいただければと願っております。どうぞよろしくお願いいたします。
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by maka1968 | 2006-09-04 21:25 | お気楽一座 | Comments(11)