カテゴリ:お気楽エッセー( 8 )

バテルバトル

何年か前から○○バトルちゅうタイトルの番組名をきくことが多くなりました。グルメバトル、本音バトル、お笑いバトル…、なんじゃこらと思うんは私だけでっしゃろか。バトルちゅう言葉を調べますと、戦闘、戦いという意味が出てくるわけです。

しかしながら、この○○バトルが用いられるのは、以外に戦いとは無縁であるべき言葉、戦わんでもええもんをむりやり戦わすときにでてきまんねやな。グルメバトルて、全国の調理師が腕競いよるわけです。たとえばお好み焼き対広島焼き、似てるけどこらちゃうもんでっせ、それを戦わせよるんですな。お笑いバトル、笑うということは笑わす側と笑わされる側の共感がなかったらなりたたんわけで、そんな世界の芸どうし戦わせるわけです。これは芸人どうしの戦いのように聞こえますが、ほんまは視聴者が自分の好きな芸人を応援しながらそうでない芸人はシカトするような図式なんですわ。つまり視聴者同士のバトルでんな。

本音バトルてなもんは、わけわかりませんで。だいたい本音で人間どうし会話できまっか。私はむりや思いまっせ。「ああこんにちは、かわいい服着てはりますね」「いやあ、奥さんもええ服着てはりまんな。どうせ、リサイクルだっしゃろ」「それほどでも、ほっほっほっ、奥さんほど百均グッツで身を固めたら似合う人は町内にいませんで」こんなん言うてたら会話も友情も生まれまへんわな。会話というのは話を会わすと書きますが、いろんな気遣いをしながら言葉をかわすから相手の気持ちが聞けることもあるし、本音に真実があるとも言えんとわたしゃ思うんです。
こんなん書いたら、たてまえやうそばっかりがええんかという人いてはるでしょう。いやそうやなくて、言葉にお化粧をして相手に手渡す、相手も言葉に飾りをつけ受け取りやすい物にして渡す、これでええと思うんでっせ。この繰り返しが会話とすると、バトルという言葉は不釣合いやと思いますねん。特に意見交換をする場でバトルという言葉をつけると、言わんでもええことが飛び交い、収集つかんようになるはずです。会社や学校のサークルなんかでも、バトルを使いよるんですな。わが社をよくする、「熱い思いバトル」とか、学校で学年や教師、生徒の壁をこえて語り合う、「言いたいこと、本音バトル」。どないなってんのかいな思いまっせ。ほんでおかしいのは会社にしても、教育機関でも、社員や生徒が、激しい発言したら、言葉を選べとか、思いやれとか上司や教師がいいはりまんねん。それやったら最初から本音とか「言いたいことバトル」なんちゅう名前の会にしたらあかんのちゃいますやろか。

私も言葉使う仕事まがりなりにやらせていただいてますが、言葉は難しい生き物です。覆水盆に返らず。「あっ」思うたらもう遅いことがあります。そやさかいに簡単にバトルしたらあかんのちゃいまっか。言葉をうそでぬりかためるんやなくて、相手が受け取りやすい、味付けや化粧して渡す、またどうしても今言わなければならない言葉なら、選びぬかれたビタミン注射にしてぶちゅっとする、しかしこれも決して毒薬ではあかんのですよ。会話は常に相手から返ってくる言葉を待てる状態にせなあかんのです。ダメージを与える、ぐうの音も言えなくする、それがバトルなんやと思うんです。

こんなんやっとったら、バトルでバテルで。
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by maka1968 | 2008-03-04 20:09 | お気楽エッセー | Comments(4)

あさだあさだーよ

私がこよなく愛するホット空間のひとつに「あさだ」という和菓子屋さんをご紹介したことがありますが、先日このあさだに贈り物を買いにでかけましてん。店内に入りますと、奥から「お客様、お茶がはいりました」と声がかかり、大きな木のテーブルにお茶と試食のお菓子が置かれる。このテーブルがまたたまらない。メタセコイヤか、いやいや杉か、大木をそのままスライスして足をつけたらしいどっしりとした温かみのあるテーブルなんですわ。さらに椅子も小さな切り株でできてますねん。そして季節の和菓子が置かれる。たいてい試食なるものは「食べてや、うまいやろ、食べたら買えよ」とどこからともなく聞こえてくるもんですが、あさだはそんなおしつけがましさがないところがありがたい。ただやすらぐ時間が流れます。

学生のころ、何を買うわけでもなく風流もなんにもない、学生ならではのよしのやでドッカーンと食うたろかみたいな感覚で、試食をねらって利用させてもろたこともあったな。そんな学生にも文句言わずに「お茶はいりましたよ」のもてなし、いやなかなか、この不景気にでけんこっちゃでと感心してしまうわけです。

数ヶ月前あさだに行ったとき、やたらと試食をするおっさんに出会ったことがありますねん。このおっさんなかなか手ごわく、孫に「おい次なに食いたい」というて新しい商品まで出させてましてな、こらいつか、なんぼ温和なあさだとはいうてもきれるでと思てたら「はいわかりました」と暖かく笑顔で対応。この試食おじさんが何を買ったかは見届けることはできませんでしたが、一箱分くらいの和菓子は無料で腹の中に入れてお持ち帰りになったんではないやろか。

さて話を戻して、贈答菓子を買って立ち去ろうとしましたら、「マカさんですね」と声をかけられまして、だれやいなと思っていましたら「浅田です」。なななんと、あさだの若社長さん(だと思われます)だったのです。お話を聞くと、お知り合いの方が私のファンであるということと、若社長さんも私のブログを見ておられて、私が近所にいると知り、一度声をかけたいと思っていてくださったのことでした。いやあ、うれしい話で後から後から和菓子のような、柔らかい喜びがあふれてきたのでした。学生時代の数々の試食、ひらにお許しのほどを。
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by maka1968 | 2008-02-03 11:52 | お気楽エッセー | Comments(7)

恥のかき方 かかせ方

小中学校に講演に出かけることがよくあります。体育館に生徒がはいりますと、もうたいていはおとなしいにしてまへんわな。めずらしい人間が講演に来てる期待で胸いっぱいなんですから、なんて書くやつはかなりうがってまっせ。ちゃいますちゃいます。授業が減りまんねやがな、そらうれしいでっせ。私もそうでした。難しい話一時間も聞かされるのはうっとうしいけど、まあ授業よりは楽かいなてなもんですわ。好きな教科がとぶ場合はうっとうしやろけどね。そこでたいていの学校で繰り広げられるのが(以下、絶叫、巻き舌で)「コルルルラララァーおまえらしずかにせんかー、だまるるるらららんかえー、ぼけー、だれそれ、くどいんじゃー、おまえはいつまでさわいどんねん、並ばんかい、なにしとんのじゃ、おまえるるるらららー!」

これ、どこの組の集会や思いますか。学校でっせ。男女問わず、たいてい教育者の方がこの口調でおさめはりますねん。あげくに「おまえるるるらららー、はずかしいやろがー」です。おまえの方が恥ずかしいでと思うんですな。これが、あとで「先生、言葉使いなんとかなりまへんか」と聞くと「あの子らはああでも言わんと聞きませんから」とか「しかたないんですよ。現場の毎日のことですから」なんや理屈がとおったようなとおらんような返答です。たしかに教師の数も少ない、生徒も問題が多いかしらんけど、どこの学校でもしゃあないしゃあない言うとるうちに、子どもらも「しゃあない、あいつらうっとうしいから一応静かにしたろか。先生でっかい口あけてあほちゃうか」てなことになりまへんねやろか。

よう子どものころ大人や教師にこんなこと言われましたな。「ちゃんとしなあかん、今やっとかな将来恥かくで」その忠告に報いたおかげで今恥ずかしいことや恥かくことだらけになりました。そやけど、こんな言葉もありますな。「聞くは一時の恥、聞かざるは末代の恥」私は振り返ってみて自分には大きな弱点がありますねん。なんでもうまいことやり終えたい、しいて言えば、成功したいというプライドが高いんですわ。そやから、なんぞ発表せなあかんとか、お稽古に行かなあかんときは、ぎりぎりまで無駄な抵抗するわけです。一見なかなか実直のようにも見えますが、そんなええものでもないんです。「まあそれくらいでいいからいっぺんやってみ」というのがでけへん。自分で納得せな前に進めんのです。自己満足にすぎんわけで、基準が自分なんですな。「ああ、あんときあの段階でもやっときゃよかったんやな」と思うことが多々あります。今となってはもうおそいんですが。

そやけど恥をかくことに免疫があれば、何事にも積極的になれると思うんです。落語では師匠から「ええか、7割真剣、あとの3割はお客にまかせて遊ぶんや」と言われました。今やっと少しわかるんですな。かちかちになっていたり、自分の考えで固まっていると、突然のお客様の反応や舞台の雰囲気に対して余裕がないわけです。デートしてアイスキャンディーを食べとって、突然溶けたやつが落ちそうになりまっしゃろ。彼女に「あ、落ちるよ」と言われたときに、気持ちに余裕があれば、「おっとっと」とチャメッケたっぷりになめてしまえますけど、緊張が高いと「ど、ど、どこどこ?」てなもんで、こぼして恥ずかしい格好みせたないて思いが視野を狭しよって、股間にアイスがポタリ、てなことになるわけです。とっさのことに対応でけんかったり、次の展望を狭くしてしまうんでしょうね。将来恥をかかないようにと教えても、必ず人は恥をかいて生きています。むしろ、恥をうまくかかせてやれる舞台を用意してあげたり、かいたときに次にどない進むか教えることがおおいに大切なんやないでしょうか。

『勝ち組負け組』なんて言葉ありますが、勝ち組は恥ずかしくない生き方ができているというんですかね。いわゆるエリートが恥ずかしい言い訳をマスコミでしてますが、やはりあれは小さいころから恥ずかしい大人にならないよい子のための教育を受けてきた成果なんでしょうか。エリートやのうていい、学歴も関係ない、自分で考えたことを恐れず多くの人に尋ねながら恥をかいてまた前へ進み、誰かの恥に心痛めながら、そっと助けの手を差し伸べられる、そんな恥の教育ないやろか。「こるるるらららー、この文しっかり読んどるんか、そこのやつ。読まなんだるるるららら、将来恥ずかしいで」おそまつ。
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by maka1968 | 2007-12-24 22:00 | お気楽エッセー | Comments(6)

優しき町の日

道を歩いているときに声をかけられると芸人はうれしくなります。まあ、私みたいにテレビも雑誌もにぎわさないような者には縁のない話でございます。

がしかし、この町だけは違うんです。私が子どものころから育ったご町内、散歩してると薬局のおじさんが声をかけてくれる、学校の前なんか通ると小学校時代から高校時代までの恩師が順々に声をかけてくれる。自転車乗って買い物へ行く途中のおばちゃんが大声で「元気かいな」これ私がまがりなりにも芸人だからではないんです。皆小さい頃から私を知ってはる方ばかりやからなんですな。

この散歩道にある店や家並みは昔とほとんど変わりませんが、大いに変わったのは、そこに住む人なんですわ。花屋のお姉ちゃんはおばちゃんに、床屋のおっちゃんはおじいちゃんにと。ふと気がつきゃ私自身が近所の子供に「元気かいな」と声かけたりしてるんですよ。たこやき屋に入りますと、そこでたこ焼いてんのは子供の頃「はげ親父」とからかったおっちゃんやない、私と同い年の幼馴染なんですな。町を作り見守る世代が少しずつ変わってきたんです。

そんな町を白状ついて歩いてますが、電信柱なんかにぶつかりそうになりますと、どこからともなく声をかけてくれる人がいてはります。近所に盲学校があるおかげかもしれません。自分のことを見守ってくれる人がいる町、それってうれしいやないですか。養護学校が減らされる、人が触れ合う商店街がつぶれる、医者にも安心して行けない、そんな町どう考えてもさみしいでっせ。

おや、見慣れた街角に新しく店ができたんかいな。なんの店やいな…、ああ、フケーキ屋さんだっか。
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by maka1968 | 2007-08-02 11:18 | お気楽エッセー | Comments(4)

幸せの黄色い点字ブロック

私は自動改札が嫌いだ。何度通り抜けてもあの「ガチャリン、ガチャリン」と、せわしなく動いている改札機の前に立つと、手が汗ばみ心拍数が上がる。切符を右手で挿入する瞬間、緊張度は最高の状態にかけ上る。穴の入り口に、キップの先端が触れるや、いなや「ガシュン」だ。「あらー感じやすいのね」もうあれは強引にひったくって行くという感覚だ。そして心の中で、「後ろめたいことは決してしておりません」と唱えながら足を一歩踏み入れる。無事関所を抜け出ると、ほっと一気に緊張した気持ちが緩和し、マイスイートホームまで、もう少しという開放感に変化する。ところが、ときおり間違った切符なんぞ入れる、すると「キンコロカンコロ、こいつやでー 関所破りや、キセル野郎かも知れんで」と周囲360度の皆様が注目するような、おたけびのチャイムが鳴り響く。

私は何をしてしまったのだろうか、とてつもなくいけない事しちゃったかな、自責の念にかられてしまうのだ。気が付くと長谷川一夫風の駅員さんが、十手を片手に「どうしたんでー、御用だ、御用だ」と疾風のごとく現れてくださる。私がはじめてこの自動改札に止められたのは、確か小学校一年か二年の頃。兵庫県を走る私鉄の終着駅であった。

この路線はかなり長い間駅員さんが、木で作られた小さな檻のような枠に入り鋏をパチパチ鳴らす人力改札だった。電気の改札ができたというので随分話題になっていた。家族で出かける時だったと思う。初めて対面したオレンジ色の機械君の前で、切符をどうすればいいのか分からず、おどおどしている私に、母がここに入れるのだと教えてくれた。そうなのだ、小さい子供には手取り足取りが大事だ。私はおそる、おそる小さな手であの忌まわしい口元へ切符を突っ込んだ。「ガシュン」素早く切符が奪い取られる。一歩足を踏み込む。「キンコロカンコロ」「なななんだ」駆け抜けようとした瞬間、目の前に左右から柿色の巨大な手が出てくるが早いか私の腹に一発かましてきた。後ろに吹き飛ばされた私は、それでもくじけず、ファイティングポーズを取るのだった。そうだ後ろは開いてるぜ、こっちにはママがいるもんね、ダッシュでバックした途端、再び柿色の手が。私は四方八方塞がれた。自分の人生でこの時ほど、ゴキブリの気持ちを考えたことはないだろう。頭の中が真っ白で、体がこちこちに強張っていた感覚を覚えている。
周りの大人たちも、この目新しい電気改札のあまりに突然の逆上ぶりに仰天し、
「何すんねん、可哀相やないか、子供やぞ」と囁いている声が聞こえる。
駅員が飛び出てきて、
「あ、ごめんごめん、怖わかったでしょう」なんて言いながら柿色の手のようなゲートの扉を開けてくれた。なぜか母は「いややわー、こんなんなるんやね」と言いながらも笑っていたのを覚えている。そういえば何故子供より先に自分がキップ入れんかったん、後から来るあたりが、なかなかやるな、かあちゃんなのである。

それにしても、改札というのは、入る時、出る時で気持ちが変わる。なにせ昔、野口五郎は私鉄沿線なる歌で「改札口で」と絶唱するくらいだから、私が改札口で、なにやら感傷的になるのも不自然ではなかろう、特に改札を出る時の気持ちである。一連の緊張から緩和までの手続きをおえ、無事に改札を出た瞬間その感覚は訪れる。「出ましたか、はいそれではお気をつけて後はご自分でいけますやろ」とどこからともなく声が聞こえてくるような気持ちになるのだ、確かに黄色の点字ブロックが構内まで敷かれているが、これで絶対安全とはいいきれない。
ラッシュ時には、人が溢れているし、肝心のブロックの上に鞄や、荷物がドカッシと置いてあることも多い。さらに恐るべしは、なぞの移動物体化したおばさん達なのだ。ごちゃごちゃしゃべりながら歩幅も大きく、威風堂々と点字ブロックを踏みしめてやってくる。第一次接近、第二次接近とまるで、スピルバーグの名作『未知との遭遇』のように距離が縮まってくる、このときに、忘れてはならないのは、なぞの飛行物体と交信する音楽だ。もちろんマイウエイだろう。めでたくぶつかる。
「危ないやんかいなーー」と大きな声をあげるのは、何故かこの動く荷物化したおばさんの方なのだ。

とそんな行く手を阻むものを乗り越えて、プラットホームにあがる。またここからが勝負なのだ。駅の上に付けられているブロックの位置である。以前構内アナウンスで「黄色い線の内側にお下がりください」と言うやつをよく耳にした。ちょっと首をかしげるアナウンスだ。私の友人なぞは、確かに黄色い線、つまり点字ブロックより線路側に行くと、危ないなと思っていたらしい、それだけ駅と、谷底との瀬戸際に点字ブロックは敷かれているのである。
そんな危なっかしい所を歩いていくわけで、気分はほとんど木下大サーカスか中国雑伎団。
目隠しで綱渡りをさせていただきまーすなのだ。サーカスで、ピエロが演じる時は、ネットなんかが下に張ってあるけれど、点字ブロック綱渡りの場合、もしもの時は一気に人生の終着駅に着いてしまうかもしれないのだ、ホームの上にいる駅員さんも最近は少ない。地下鉄などは特に少ない、おち放題状態なのである。

私は、ねっからの怖がりなので、極力駅員さんに誘導をお願いし、乗り降りまで力をお借りしている。以前夜遅くに帰った時、乗車駅から下車駅まで連絡をしていただいた。列車が駅に着き扉が開く、私が一歩駅に降り立つと、駅員さんがいかにも忙しそうに私の腕をつかんだ。
「はいはい」と面倒くさそうに歩き出したのだが、なんとも超スピード、区間急行なみだ。若干身の危険を感じた。すると
「あのね、夜は改札私だけですねん もうちょっと早く来てもらえんかな」と言う。私は耳を疑った。いかにも、かなわんな、という態度が掴ませていただいている腕からも伝わる。躓きそうになったので足取りを若干落す。なななんと、反作用のごとく、このおっちゃんはさらに引っ張り始めた。快速急行である。たいていは「これくらいの速さでいいですか」なんて聞いてくださる方もいる中で、なかなかの攻撃だ。これ以上早いとやばい、もう少し足取りを落としてみた。
おお、ななななんと
「ちぇっ」と言いながら、さらに、さらにのスピードアップ、これはもう特急ではないか。「次は行き着くところまで止まりません」と車内アナウンスが聞こえる。とその瞬間快調に走っていた列車が急停止、置石だ。私の足が小さな段差に躓いたのであった。かなり慌てて
「大丈夫ですか」ようやくスピードが落ちた。
「いや、夜は駅員一人ですからすんませんな」態度一変、今までの事はなかったことにしてモードに入ったのだ。不景気のあおりで、鉄道も赤字経営の会社が多いようだ。駅員を派遣会社に任せたりと大変な時代だと思う。しかし駅員さんが少ないからといっても、事故があったら、それこそえらいことなるんとちゃうかいな。車椅子で利用している友人などは、夜に駅を利用すると、露骨にいやな顔をされるらしい。夜だって出かけることは障害者にもあるのだ。仕事や通院、デートもすりゃー私のように妙な友人達と飲み屋めぐりを楽しむ奴もいる。

健常者も障害者もいろんな理由や、思いを持って駅を利用する。だから時間にこだわらず、サポートのお願いに対応していただけたらと思うわけである。ただし、迷惑な酔っぱらいは、障害者も、健常者も同じなので利用する方も、マナーは守るべしである。と言いつつほろ酔い気分で、今夜も我が家を目指すべく黄色の点字ブロックを踏みしめ改札を出るのだった。
「おおい、なんやこの駅ぐるぐる回っとるぞ、暗いな電気付けてくれー」
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by maka1968 | 2007-07-04 20:59 | お気楽エッセー | Comments(80)

目覚めよレコードプレーヤー

先日ふらりと近所の骨董品屋に入ったんですわ。入り口近くには、家具や調度品、仏壇まで。少しほこりっぽい棚が並ぶ中には、壷や皿、置物が並べられ、再び生活という表舞台で光を浴びるときを願い、目利きの来店を待ちわびているようでした。

店の中央にいくつかの本棚が並んでまして、ところが中にはレコード、古めかしいジャケットがきちきちにつめこまれて立っている。ジャンルもばらばら。なにげなく立ち寄った私でしたが、この瞬間に天からの啓示か、野生の血がさわぎだし、友人に無理を言って、レコードジャングルにならぶタイトルをかたっぱしから読み上げてもろたんです。これがすごい、なななんでこんなレコードあるねや。あ、これは昔ほしくて買いそびれたやつやないかいな。え、こんな値段でええんかいな、てな物で、興味のない人にとっては、きっとほこりをかぶった紙の行列にしか見えないこれらの肩身狭げに立ち並ぶ物たちが、金色の板のように見え出してきたからおどろきですわ。

さっそく幾枚か買い、家で眠っていたプレイヤーに再び目覚めのときを告げ、回転していただきましてん。針もかろうじて良好、パチパチという懐かしい音とともに、たえなる調べが流れ出しましてね、私は次から次へとレコードを掛けました。2時間あまりしてふと気づきましたんです。CDを2時間聞くよりも、からだが楽なんです。なんでやろ。私達は、いい音とは雑音がないことといつのまにか思いこんで、CDに慣れてきた。その音は、ノイズを始め、不要な成分をデジタル処理で最大限排除したもの。ところが、レコードはアナログ録音なので、不要な成分も記録されるんですわ。以前から、このCDのクリアーさのなかに、違和感を覚えるという人は多く、レコードの音質に近いCDが、最近ではあえて作られているぐらいなんです。私達は、いつのまにかデジタルに慣れて、アナログの持つ、無駄とされた音の部分の良さを忘れていたのではないやろか。

このごろは濃のあるコーヒーを立てて飲むように、レコードに針を乗せ、芳醇の時を味わう時間を作るようにしてますねん。今日もプレイヤー君に起きていただいて聞こかいな。もちろん曲は、あのイナバウアーでおなじみの「ネッスンドルマ(誰も寝てはいけない)」。
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by maka1968 | 2007-01-07 23:30 | お気楽エッセー | Comments(2)

風呂屋の珍騒動

私のマンションの前に風呂屋がある。豊里温泉という、昔はどこにでもあった懐かしいスタイルの銭湯だ。この町には府営や、市営の住宅が林立している。福祉住宅もあるがなぜか風呂がない建物が多い。そんなわけもあり豊里温泉は、今日も無事に薪を焚き続けている。
舞台がはねると銭湯に出かける。それがたまらなくリラックスするのだ。今日も一座の座員であり、自称弟子を名乗るムロ君と湯にきた。
暖簾をくぐる。古い風呂屋独特の湿気た木の香りと、石鹸の臭いがする。今はずいぶん少なくなった木製の下駄箱から、木の札を抜き取ると、なんともレトロで、いきなりリラックス効果なのである。ガラガラっと男湯の扉を開く。右が男湯、左が女湯、習慣というのは恐ろしい。以前別の銭湯に行ったときだった。いつもの調子で、右側の扉を勢いよく開ける。いきなり番台のおっちゃんが「ここは女湯やで」と顔を出した。そうかしまったと思ったが「何で、おっさんは女湯の入り口から顔だせるんや、ええ商売やな」と納得したのだった。出来れば入り口に点字の札がほしい。
話を豊里温泉にもどすが、ドアを開けると「いらっしゃい」何時ものおばちゃんが迎えてくれる。・・・・360円を払い脱衣場に向かう。
子供の頃からこの風呂屋にはよく出かけた。マンションに風呂があるにもかかわらず、小学生のころ大抵の男の子ならば、小銭を握り締めて近所の悪餓鬼が誘い合い、風呂屋通いをする時期がある。これが大人になって別の風呂屋に通う癖につながっていく者もいるのだ。
風呂屋の入り口の戸を開ける。ムワーンと蒸気と熱気が「温泉へようこそ」なんて調子で迎えてくれる。湯気の暖簾をくぐり抜けるとそこはもう別天地、もちろん頭の中のBGMは「ババンババンバンバン」である。掛け湯を済ませ、何時ものように打たせ湯から入る。両肩にちょうどよい水圧でお湯が落ちてくる。足を伸ばしたり縮めたり、時に禅僧のようにチャクラを組み湯を浴びると、舞台でのあれやこれや失敗なんかも流し落とされ、この世のすべてのものが許せるような心持になってくるから不思議なものだ。肩をほぐして次に向かうのは水風呂である。この水風呂に入るのは少し勇気がいる。水がよく冷える薬が混ざっているらしく、強烈な冷たさなのだ。片足をつけながら、自称弟子君は
「MAKAさん、今日は止めときましょうよ」
と嘆願するが駄目である。私と風呂屋に来た者は必ずこの儀式に参加させられる。彼もしぶしぶ足をつけている。両足、そして徐々に腰のあたり、そしてみぞおちと沈んでいくのである。
ここで注意しておこう、水風呂は決していきなり入ったり肩までつからないことである。下手に格好つけると風呂屋で土左衛門や、のびた君になる可能性もある。「ギョエーギョエー」と大のおっさん二人で絶叫しながら苦行僧になるのだ。 不況のあおりで風呂屋に来る人は減ったらしく、たった二人という貸切り状態もよくあるので、絶叫もお構いなしだ。30秒ほどすると、足の甲から膝下ぐらいがキーンと音を立てるように痛む。1分もすると人間の体はなじみ始める。
隣の自称弟子君、余裕が出てきたらしい、鼻歌なんぞ歌っている。二、三分して一気に外へ出る。そしてサウナへ突入するのだ。
サウナに一歩入るとすぐに汗が滲み出る。冷水に浸しておいたタオルを、イスラム教徒のように、顔の前に垂らし軽く息をする。口の中にひやっとした空気が入って来て気持ちがよい。
ぬらしたタオルで顔を覆っていると、比較的長くサウナに入っていられる。
自称弟子君が「ちょっと先に出ます」と出て行った。すぐ来るだろうと思い、のんびり足を伸ばし、ぼんやり有線の演歌を聞く。「骨まで骨まで」という強烈に古い歌が聞こえてきた。さて出ようかなと思っていたら自称弟子君がこない、おかしいな、もう少し待つ、なかなか来ない。若干やばいと思い、とりあえず外に出ることにした。ドアを探し壁に手を当てる。「アチ、ここじゃない」ドアのノブはどこだ。またドアに触れるつもりで手を出す。「アチ」なかなかやばくなってきた。ラジオからは「骨まで骨まで骨まで愛してほしいのよ」、なんとこのシチュエーションに合っている曲だろうか、俺が骨になりそうだ。これはと、もう一度手を伸ばした。「あった、ノブだ」こんな感動は長野県の善光寺の地下に広がる暗黒の世界で、極楽への鍵を探し当てたとき以来ではなかろうか。回してみる、回らない、逆回し、回らない。引いてみる、びくともしない。「うっそー」絶体絶命である。私はこの慣れ親しんだ愛すべき豊里温泉で、即身仏になる覚悟を決め、床に座り込んだ、めくるめく脳裏を掠める思い出の数々、お父様ありがとうございました。お母様昨日の卵焼き、大変おいしゅうございました。私のかすみ行く意識の彼方から、ピンクの象さんが表れた瞬間、「MAKAさん何してるのん」と自称弟子君が扉を開けて入ってきた。
「ドアが開かんかったんや」
「このドア押すだけやで」
慌てていたのだろうか、こんな簡単な事が分からんとは、とりあえず私は千日行を終えた大アジャリのように、彼の肩につかまり厳かにサウナルームを後にしたのであった。蛇口に手をかけとにかく水を浴びようとしたら
「MAKAさんそれ湯やで」
と自称弟子君の声。危機一髪だった。勢いで熱湯掛けたら因幡の白兎だ。いろんな風呂屋や、温泉に行くが、蛇口に点字で水、湯なんて打っているところに出会った事がないな。冷水を浴びてほっと一息ついてから、体を洗う。いい心持である。隣の女風呂から「おかあちゃん」と声が聞こえてくる。「きゃーふふふ、やだー」なんて声がする。珍しく若い女性の客なのだろうか。私は壁の上にある隙間からのぞけるかもしれないと思い「肩車してくれへんか」と頼んだが、自称弟子君あっさりとぶっきらぼうに言った。
「MAKAさん見えへんやん」
忘れていた。それにしても女湯に向かって一度は言ってみたいものだ、・・・・
「もう出るぞう」すると向こうから「はい」なんてやつ、いやこっちから口笛を吹く、するとそれを聞いた彼女が「はい」いやこっちから桶を三回鳴らす、そしたら向こうからコンコンと恥ずかしそうに小さな桶の音、「何をぶつぶつ言うてるんですか、またのぼせますよ、先に大きな風呂入ります」私も少し顔を洗ってから自称弟子君のところへ向かった。
以外に銭湯の移動は大変である。点字ブロックがあるわけでないし、手すりがしっかりついているところは少ない。いわゆるレジャー型の、どでかい派手な温泉であってもである、やはり温泉は湯治という具合に、体を休め病を癒す役割があるのだから、高齢者や、障害者が訪れやすいものであってほしいと願うものだ。設備投資が掛かるというが、巨大温泉に行くと、突然天井に稲妻が走り雨が降る、岩が割れて湯が吹き出る、ミラーボールで目が回る、そして、滑り台がプールよろしく備えられたりしている。これも一興ではあるが、手すりや、誘導ブロック、ガイドヘルパーさんなどの充実をしていただく方にも、予算を入れていただきたいと考えてしまう。そこにこそ万人への癒しサービスがあるのではないだろうか。
それはともかく、こうして大きな湯船に浸かっていると、ある子供の頃の記憶がよみがえる。
悪餓鬼四、五人で風呂屋で大騒ぎをしていた。突然電気風呂に入ろうと一人が言い出した。悪餓鬼達にとって、それは命がけの行動だった。理科の時間に水は電気を通うすなんてことを習って間がない小学生には、湯に電気が流れている、これはもう電気椅子に座らされるほどの恐怖なのである。誰がこの前人未踏にチャレンジするか、当然言い出しっぺの餓鬼が、犠牲者となった。彼はおびえながら片足を湯に入れた。「ひゃー」という絶叫が風呂中に響き渡る。勇敢にも彼はここで止めず、両足を入れ中央付近まで歩んでいった。彼はもうほかの仲間とはまったく違う輝かしい存在、電気人間エレキテル化している。その表情には余裕の笑みさえうかがえた。「真中はしびれへんで、手をつけなけりゃ、平気や」この一声でほかの悪餓鬼も次から次へと、湯船にはいった。私も例に漏れずである。
わいわい、がやがや両手を前に伸ばしたままの、悪餓鬼が湯船の中央に固まっていると、そこに、重々しい空気が漂ってきた。お背中に派手なプリントをつけられたおっさんが湯船の縁に座った。次の瞬間このおっさんは、私の手を掴んで湯船に押し込もうとした。私は咄嗟に全力で抵抗した。おっさんの腕力にかかったら、子供の力なぞまさに赤子の手をひねるようなものだ。おっさんは、わざとじわじわ手加減しつつ水面に手を近づける。まるで猫が獲物を遊びながらいたぶるように
「おおいやめろ」という悪餓鬼達の声が響く。
「やめろ、やめろ」の声の中おっさんは不適な笑みを浮かべて、私の手に力をいれ始めた。とその時一人の悪餓鬼が
「おいやめとけや、目が悪いんやぞ」と叫んだ。その声を聞いたおっさんは突然手を離した。私はほっとしたのと同時に、何か恥ずかしいような、気まずさを覚えた。別に死ぬわけじゃないのだから、一思いにジャブンとやってくれたほうがよかった。そのほうが、仲間の中でヒーローになれたのに、目が悪いからあかんのかという複雑な思いだった。おっさんは湯の中に入ってきた。
「そうか、目が悪いんか」と言うと、桶に入っていたネッシーのおもちゃのスイッチを入れ、湯に浮かべて遊びだした。悪餓鬼も何時のまにかおっさんと遊んでいた。おっさんは上がり際に、「後で来い」と言い残し風呂場を出ていった。かくして我々が、脱衣場に行くと、一人一人にラムネを買い与えてくれた。それ以後も何度かこのおっさんに会う度にラムネをおごってもらった。
ずいぶん体も温まった。自称弟子君が「そろそろ行きますか」と聞いている。
そんな彼に手引きしてもらいながら脱衣場に出た。今日は二人でみかん水とラムネで乾杯である。
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by maka1968 | 2006-09-23 12:03 | お気楽エッセー | Comments(0)

MURA村WAKUワク

私はカレーライスをこよなく愛している。うまそうなカリーのにおいは2、300メートル先の店まで分かってしまうほどだ。うちの一座(お気楽一座)のワッキーもカリー好きであることをつけ加えておかなければならない。私は彼と今あやしいサウンドづくりをめざしている。そこでまずはアメリカ村に資料および音具集めに出かけた。アメ村というと、1986年ごろ私はよく出入りしていた。なんだか分からぬものを並べた雑貨屋、アジアンテイストの店、しゃれた洋服やジーンズの店、ほこりっぽくガネーシャの香りをたいたインド雑貨屋、店先からは思い思いの音楽が漏れている。そしてその町をゆらゆら、がちゃがちゃ、わいわいと歩くさまざまなファッションに身を包んだ若者、これがアメ村。そこには村の時間が流れていた。大人はそれを退廃的だとか、世紀末的、だらしないと中傷していたが、私にとって、いやいやアメ村を歩く旅人は、それを愛し、その中傷をマントのように軽々と羽織って楽しんでいたと思う。当時、私がもっぱら出入りしたのはマニアックなCDショップ「ラングーン」とインド雑貨屋だった。
ワッキーと難波からアメ村に入村。相変わらずガチャガチャ音楽が流れている。しばらくアメ村を歩いていた私たちは、ふと妙な違和感を感じた。店先を飾る音楽にあまり変化がない。ツクチーツクチー、デケデケデケデ、デケデケデーン、なまむぎなまごめなまたまご、てな具合で言葉を連発するラップ系の曲、クラブ系のサウンドがほとんどなのである。レゲーはどこいった。無国籍サウンドは、パンクは、そして耳からだけでなくそんな村の変化は視覚的にも現れていた。「マカさん 雑貨屋減ってます」な、なんだってえ、しゃれた小物や洋服の店はあっても、実にわけ分からん生活には必要なかろうと思われる雑貨を並べた怪しい店が激減しているのだ。「ラララ、ラングーンは、ぶ、無事か」われわれはワールドミュージックやマニアックなCD、レコードまでを取り扱っているあの店を探した。「たしか、このあたりですよね」ワッキーが見回している。そして次の瞬間ワッキーの驚愕と絶望の声を私は聞くことになった。「つぶれてます、ありゃー、完璧にぶっつぶれ」私の心の方がぶっつぶれである。二人の足取りは重たくなった。「あのー、気を取り直して僕が高校時代よく行ったセイロンライスの店行きませんか」セイロンライス、それはいったいなんなのだ。聞くとアメリカ村が生まれたときから営業しているという。不覚にも私はその店を知らなかった。私の心になにやら懐かしい感覚を伴いながら、ムクムクと期待がよみがえった。「でもマカさん、つぶれてないやろか」 再び二人の心に一抹の不安がよぎる。街角からは、クラブ系のサウンドが忙しくリズムと言葉を浴びせ掛けてくる。
細い路地を曲がり曲がり、ゆらゆらと歩く。小さな店は、バブルのシャボン玉となって消えてしまったんだろうか。虹のような光を秘めたシャボン玉は世間の風には合わないらしい。そんな変わり行くアメ村を、かつて絹の道を行商して歩いた旅人のようにさまよう。腹もほどよくすいてきた。
セイロンといえばスリランカではないか、昔の人はセイロンの文化にノスタルジックな憧れを抱いたという。店の入り口に立つ。アジアン系の店特有の、香などを含む独特のにおいはしてこない。「入りますよ」ワッキーが小さなドアに手を掛け、静かに一歩入る。「なな、なんだ、いきなりそこは、スリランカではなく、タイムスリップをしたような懐かしい食堂の雰囲気全開なのだ。それも街角でよく見かけたこじんまりした店、どこか古臭く、そのレトロな店よりさらにレトロなおばちゃんが奥からでてきそうな、3丁目の夕日が似合う店だった。誰見るともなくつけられているテレビの音に混じって、「いらっしゃい」と声がかかる。席につくと、レトロおばちゃん予備軍の女性が水を持ってきてくれた。グビリと一杯飲む。おっと指に触れたコップはこれまたノスタルジックなプラスティック、懐かしい気分をさらにセピア色の過去へいざなう。三代前のおばあちゃんがはじめた店で、アメ村誕生のころからやっているとあって、独特の落ち着きがある。味は当時と同じまま、セイロンライスの名前の由来については、そのばあちゃんが棺おけの中に一緒に封印してしまってわからないそうだ。「なつかしいっすね、いやあ、子どものころのお好み焼き屋みたいですよ、この店高校時代よく来ました。実はこの店有名人がひそかに来るらしいんです。」壁にはつるべ師匠をはじめサインがいくつか飾られていた。もちろん音福亭MAKAのサインは…。
いよいよ注文したセイロンライスが出来上がるころだ。名前からあらゆる連想が広がり、スリランカの妖艶かつ色気を押し殺したような美女がいざなう怪しい世界が展開され、想像力の津波が妄想に変化した。そしてレトロ予備軍のおばちゃんがいよいよわれわれのテーブルにセイロンを運んできたのだ。まずは嗅覚に刺激が来る。香りはカレーライスに近いが、あそこまで強烈なインパクトはない。さじは抵抗なくライスとルーを持ち上げた。ルーはさらっとした感じのようである。一口食べると口中にカレーとはいえぬ何やらハヤシライスのような、そしてどこかに醤油味を感ずる、異文化の交流を髣髴とさせるものであった。
この店を取り巻くアメリカ村は相当若返り、その時代時代の若者の服装をまとい、音楽や言葉、アートを吸収して息をしている。この店はそんなアメ村に生まれていながら、まったく時代の先端に気をとられず、アメリカ村の姿にも迎合しない。頑固なばあちゃんがまだ店の柱や壁に気を付着させて守り続けているらしい。とかく芸能関係者なぞは世間にこびて生きてしまいがちだ。そんな時ふとこの店で自分を取り戻しにくるのかもしれない。いつまでも頑固で信念を曲げず、それでいてひそかに知る人ぞ知る店のままでいてほしいと思った。ワッキーが一言「MAKAさんも有名になってこのあたりにサインどうですか」「やめとこ、見えてないし、妙なものにサインして闇金に追われるのが落ちやからな」誰見るでもないテレビの中で、小泉総理がアメリカで笑顔を振りまいていた。
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by maka1968 | 2006-09-18 11:25 | お気楽エッセー | Comments(0)